通訳者あるある
1月28日発売の「通訳者・翻訳者になる本 2022」に私が参加した座談会の記事が載ることになりました。お二人の通訳者の方との座談会でしたが、英日の通訳者同士共感できることが色々とあって、楽しくお話しさせていただきました。
ということで今日は通訳者あるあるを一つ。言語の裏には文化や世界観が必ずあるわけですが、英語の裏にある考え方と日本語の裏にある考え方との違いを大きく感じる場面の一つが「謝罪」です。以前日本人は「先日はありがとうございました」と言いたがるというブログ記事を書いたことがありますが、謝罪に関しても似たようなことがあります。
会社者員時代に経験したことですが、システムの大きな問題が起きて取引先に大きなご迷惑をかけてしまいました。当時のシステムのトップは英語スピーカーで、彼が社内の営業部門や取引先の日本人の方々に謝罪する場面を何度も通訳しました。
その時に感じたことは、日本人は複数回、それもお詫びの感情が明らかに見える形での謝罪を期待するということ、それを受けて気が済んで初めて解決策や未来の話をしたいと感じるということです。一方で英語スピーカー(くくりとしては若干大きすぎますが個人の特定を避けるためにあえてそのように書きます。)は、「過ぎてしまったことは仕方ない。今後どうしたら良いか話そう」と考えるようで、(日本人の私から見ると)謝罪もそこそこに「こんな対策を施したから大丈夫。安心してください。」と言い始めるのです。どちらが正しいとか間違っているとかではなく違いの話をしています。
基本的には通訳者が発言を編集することは避けるべきだと考えていますが、この時ばかりは英語スピーカーの(軽い)謝罪を三倍ぐらい大袈裟にして、これ以上ないぐらい申し訳なさそうに通訳しましたよ。システムの不具合がもたらした状況を鑑みるとそれぐらいしないと収拾がつかないと直感的に分かったからです。
こんなふうに通訳者は言葉を置き換えるだけではなく、文化や考え方の橋渡しもしているのです。だからこそおもしろい仕事なのですね。いつか機械通訳が登場してもこのような配慮はなかなかできないのではないかと思います。
「通訳者・翻訳者になる本 2022」のリンクはこちら。興味のある方は是非お手にとってみてくださいね。
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