長い間英語を勉強していて、今は韓国語も勉強している中で、思うこと・・・。「XX語を教えてください」っていうセリフってどうなの?
私は基本的に言語は1人で勉強する部分が多いと思っている。もちろん文法はこういうルールですという説明をしてもらうとか、こういう風に言いたいんですが、どんな単語や表現を使えばいいのかという質問に対しての答えならば誰かに「教えてもらう」ことになるけれど、それ以外の話せるようになっていく過程は、ある意味孤独かつ地味な反復練習にかかっている。
母語であれば、(もちろん一定の漢字の練習などはしてきたけれど)基本的にはある程度自然に身についたという言い方もできるかもしれないが、外国語はそうはいかない。英語を身につける時もそうだった。入浴しながら1人で「今日あった出来事」を誰かに話す体で練習したり、友達と曜日を決めて駅から大学までの道のりを英語だけで話すようにしたり、そういうコツコツした努力の積み重ねだった。(まあ、後者は1人ではないけれど)
例えば会話教室に通っているとしたら、そこはあくまでも普段1人でコツコツと練習してきた成果を出す場だと私は思う。なんの予習も、復習も、練習もせず週に1回や2回通ってきて、受け身で座っていて、話せるようになるわけがない。「教えてください」という人はそういうマインドセットのような気がして仕方ないのだ。
しかも私が英語を大学で専攻していた時代ならいざ知らず、今は独学でも勉強できる様々なツールがある時代だ。私も韓国語学習するにあたって、最初はハングルが読めるようになる本を読んで自分で勉強して、Duolingo(アプリ)を始めて、ハングル講座を見てという感じでしばらくは1人で勉強を続けた。それで簡単な文がある程度作れるようになった時点で、韓国の方と言語交換を初めて週1ペースで色々な話をした。
外国語を(学校の授業以外で)勉強したことがない人にとっては、「どうやって勉強したらいいか分からない」場合もあると思う。その場合「勉強法」を人に聞くということはあるかもしれない。(それですらも今は検索すれば情報が溢れているから、必ずしも誰かに聞かないといけないわけでもないと思うけれど)
勉強法を考えるのはとても大事だ。なぜなら目的が何なのかによって取るべきアプローチはかなり変わってくるからだ。教科書や本で黙々と読んだり書いたりする練習ばかりをして、「話せるようにならない」と嘆いている人を多く見かける。えーっと、当たり前じゃない?話す練習をしないで話せるようになるわけないじゃない?あなたは何で日本語が話せるのって考えたら、話す練習を何十年もずっとしてきてるからでしょう?何で外国語になったら急に話す練習をしなくても話せるようになるのではって思うの?あーもどかしい。
教科書の勉強が悪いと言いたいわけではない。読み書きや試験の合格が目的ならば、それでいいと思う。でも、英語にしろ、韓国語にしろ、ある程度話せるようになりたいと思っている人が多いはず。そうしたら話す練習(と聞く練習)をしないと無理。これ普通に考えれば分かると思ってしまうんだけど、どうしてみんな話す(声に出す)練習をしないで「話せない」って言うんだろうなぁ。
あと語学の練習は多くの人にとって試行錯誤だと思う。少なくとも私にとってはそうだ。いろんなやり方を試して飽きないように工夫するし、自分に合う、合わないもあるので、続く方法もあれば、続かない方法もある。そうやって色々なアプローチをして、コツコツと努力をした上で、ある程度話せる自分になっていくのだと思う。
最近は友人と、もしくは、言語交換の場で様々な人と韓国語で会話することが多い。多種多様な話題を韓国語で話せることが本当に楽しい。でもここに辿り着くまでには、1人でブツブツ練習をした何百時間、何千時間(?)があった。そしてまだまだ足りないので、これからも1人でブツブツ練習をし続けることだろう。散歩しながらシャドウィングをしていたら、変な人と思われているに違いないけど、そんなことはどうでもいいのだ。別に他人は自分が思うほど自分のことを気にしてなんかいないから。本当に話せるようになりたければ、恥ずかしいとか言っている場合ではないのだ。恥ずかしいのならば一生恥ずかしいと言って黙って座っていればいいのだ。
いつになく厳しい内容になってしまったが、言葉が話せるようにならないと嘆いている人が多いので、もどかしいんだよ〜。苦笑。