理解スイッチをオフする瞬間
通訳者は多くの場合において通訳している内容の専門家ではない。例えば私は自動車と製薬の通訳が多いけれど、どちらに関しても別に詳しいわけではない。自動車の工場で働いていた時も、エンジンの仕組みを他の人に説明できると言っていた同僚通訳者と比べて、私は6年いても最後までそこまでの理解をできなかった。
もちろん理解して訳すに越したことはないのだけど、通訳するあらゆる内容の専門家になるなんてどう考えてもありえない。もちろん毎回一生懸命予習して知識も増えるし、単語や表現も覚えていくのだけど、だからと言って本質的には理解していないこともある。重要なのは訳出する文が聞き手にとって理解できる正しい内容になっていることであって、通訳者が完璧に理解している必要はないと思っている。(繰り返すが、理解しているに越したことはない。)
自慢するわけでもないけれど、通訳歴も20年目となれば「よく理解されていますね」とお褒めの言葉をいただくこともある。でも、その度に「いえ。本質的には理解していないです。」と返している。卑屈になって謙遜しているのではなく本当にそう思っているのだ。(というかそうなのだ。)
で、ここからが今回のタイトルにつながるのだけど、通訳していて「は?本当に意味が分からない」という時がある。色々なタイプの分からなさががあるけれど、専門性が高すぎて「AAのBBがCCするとDDになってEEです。」と言われて、それが本当にそうなのかも、AAやBBがDDが何なのかも「CCする」というのがどうなることなのかも、EEというのがどんな状態なのかも分からないみたいな本当にお手上げの時がある。そういう時には自分の中の「理解する(したい)スイッチ」を一旦オフにする。そして言われた通りに「AAのBBがCCするとDDになってEEです。」と訳すのだ。そのためには当然AAとBBとCCとDDとEEの訳語は知らなければならない。
いつの頃からかこのスイッチをオフにしないといけない瞬間があることが分かり、オフにしている瞬間を感じられるようになった。通訳者は機械とは違うことを確信しているけれど、このスイッチがオフになっている時がある意味一番機械に近いことをやっているのかもしれない。
あー、このスイッチオフの話、共感してくれる通訳者さんいるのかなぁ。
P.S. 私たち通訳者はあなたの専門分野の専門家ではありません。少しは知っていることがあるとしてもあなたほどではありません。だから資料がいるのですよ。機械ではないので、資料を事前に読んで理解に努めて、言われた単語をすぐに訳出できるように毎回準備しているのですよ。資料も出さず「ただ訳してくれればいいから」とおっしゃるのなら、あなたがご自分でやってみてくださいね。(最後の一文を除いて、20年これを言い続けている通訳人生・・・笑)
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